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No Way
- 2006/02/13(Mon) -
周りにまとわりつくロードノイズ、爽快なエンジン音。NAのチューンエンジンの乾いた音が俺をいらだたせるノイズを相殺していた。
この音は本当にいい。やなことを忘れさせる。まるで麻薬だ。俺は車という麻薬をヤリながら一人旅をしていた。特に当てもない。ただなんとなく日本で行った事のないところに、ただ行きたかった。ただ走りたかった。
俺の住まいは東京で、急に思い立って茨城県大洗から北海道の苫小牧行きのフェリーに車ごと乗っていた。仕事は休みを取ったし、他に用があった友達も「北が俺を呼んでる」って言ったら二つ返事で「行って来い」って言った、こいつとの約束を反故して北を取った。俺は思い立った2時間後に海の上にいた。
しかし、こっちついて驚いたのは北海道には梅雨がない。雨がなく暑くもない。湿気もないで、こいつで走るには最高だった。文字通り俺とこいつは風になれた。派手に走れば目をつけれる、だが警察は簡単に撒くのはさほど難しくない。単に加速競争だったから。
こっちにきてから1週間がたって、そろそろ北海道にもなれてきた。ブラブラ流しながら少しずつ東へ流しながら気がつくと静内についてた。かなりのスローペースだろう。一週間でこれだけしか進んでないんだから。
事は静内に差し掛かった頃に起きた。俺の車はオープンカーで目立つ。そのせいだろ。別に車がすきでもなければ、ただうるさいだけで実用性の皆無な車。別に俺の車だからってわけでもないのかもしれない。だが、その日こいつは目をつけられた。変なねーちゃんがヒッチハイクをしてるんだが車を選んでた。たまたま信号で俺が捕まり、そこで幌全開の俺にを声かけてきやがった。
「私一人旅してるんだけど乗せてくれない??」
かなりスタイルはよかった。俗に言うモデル体系ってやつだ。妙にすらっとして気持ちわりぃ。
ちょうど不機嫌だった俺は思わず聞いたよ。
「なんで?」
みもふたもないくだらない質問。突っ込む余地のない全面の拒否。俺は一人になりたくてこっちにいるのになんで人をのせなきゃいけないんだ?
しかし、この女もよくわかんないやつだ、だから俺も乗せる気になったのかもしれない。
「風が吹いたから。」
ただ一言、こいつは俺に言い放ってまたすぐに
「風が呼んでたから」
「良いよ、乗んな。」
俺はこの一言で、もう乗せてた。特に理由はない。なんとなくこいつなら乗せて良いと思った。
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Nightmare
- 2006/02/04(Sat) -
昨日寝られなかった。昨日のように今日も俺のもとに訪れるのか?NIGHTMARE?俺はもうどうかしてるんだな…今日も思考の悪魔が俺を襲うのだろう。嫌な考えが浮かぶ時に招待された…

…周りは考え過ぎとか何とか言うけど、別に俺もいつもいつも考え事をしてる訳じゃない。それにある程度のところでストップを掛けるようにしてる。壊れそうで恐い…
でも、一回考え始めると止まらない。飯食ってても、酒飲んでても、友達と話してても、いつも俺に付きまとう。一番酷いのは布団の中だ。どんどん考えが浮かんできては最後には意味も成さずに消えていく。だけど、悪い方向性だけは息づいていて最後の最後は泥沼だ…
その泥沼にはまるとどうなるかって?俺は多分鬱病なんだろうな?刃物見ては手首に当てて、電車に乗ってるときは「線路を歩いたらどうなるんだろ?」とか浮かぶ。特別に意識してる訳じゃない。でも、無意識に自分を死に向かわせる。現実味のない死。自分が死ぬことというのがつかめない。普段の俺なら死に対して、痛みに対して敏感で、それらを意識させられるモノに恐怖を感じる。でも、鬱な俺には意味を成さない。ただの欲求として脳から要求される。カッターで手を切る行為を、電車の前に飛び出す行為を、車行き交う国道に一歩踏みれようとする行為をただの欲求に終わってしまう。
周りの奴等は俺を「自殺願望者だ!」と責め、「生きてたらいいことあるさ。」とか無責任な事を言うんだ。別に俺は死にたくない。自殺願望者ってのは「死にたがり」であって「死」そのものが目的なんだろ?でも、俺の目的はカッターで身体を傷つけたいという脳の欲求が目的である。そこに「死」はない。ただ結果的に死ぬだけだ。
自殺願望者とそうでないものの結果的に一緒でも過程は違う。
「それって空しいよね…」前の彼女は俺にそう告げた。確かに空しいな。それ以上でもそれ以下でもないんだから。死は死であり、生き物が死ぬということ。生を受け生まれるということは、生き物が存在するだけで意味があるのだから。それを自分で終わらせることほど空しいことはないわ。過程が違えど結果は同じ所に行き着くんだから。
死にたくないのに死んだものがいくらいる?しかも、自分の行為の結果でそうなったのものは?俺はただ運良くそいつらの仲間入りを免れただけだ。一歩間違えれば空しい奴等の仲間入り。カッターを首元で滑らせなかっただけ、降りた遮断機を超えなかっただけ、赤信号を守っただけ。日常には一歩間違えばすぐ死につながることが多すぎる。なのに死が自分達とは違うところの住人みたいに感じられる。それは、死が自分にとって無関係だからだろ。たまたま周りで人が死なないだけだろ?
生き物なんて首をちょっと強引に軽く捻れば、もうあっちの世界の住人なんだから。死を美化し、そして偶像崇拝のように尊いものとしたおかげで人は死を意識せず、死からの恐怖に脅えずにすんでるんだ。安全という名の柵のおかげで更に死は人から遠ざかっていった。便利というものが、社会というものが生き物を殺さずとも生きていけるシステムを作り上げた結果に、死を意識しない生き物を作り上げただけだろ。しかしどんなに安全だろうとも便利な世の中だろうとも、死は常に隣人として付きまとってる。
俺はたまたま生きてる。でも、鬱になろうが脳から無意識の死を要求されようが俺はまだ死ぬ気はないし、死が遠い平和な国の住人だ。死んでいる状態のものは見たことはあるが、目の前の死はまだ経験がない。別に無理に経験したくはないが。
でも、いつかは訪れる。だが俺はそれを無意味なものとしたくはない。ただそいつが死んで悲しむだけで終わらせない。俺がその死を無意味なものにした時点でその死は俺の中では空しいだけの無意味なモノになってしまう。
あぁ、もう嫌だ。脳を停止させて思考の蟻地獄から救い出してくれ…
NIGHTMAREに逢うのは嫌だ…今日もまた寝られずにストレスだけを蓄積させてまた睡眠を貪りそこなうんだな…
今日も俺に訪れた夢魔の時間。今日の終わりはいつになる…
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