スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
Nightmare
- 2006/02/04(Sat) -
昨日寝られなかった。昨日のように今日も俺のもとに訪れるのか?NIGHTMARE?俺はもうどうかしてるんだな…今日も思考の悪魔が俺を襲うのだろう。嫌な考えが浮かぶ時に招待された…

…周りは考え過ぎとか何とか言うけど、別に俺もいつもいつも考え事をしてる訳じゃない。それにある程度のところでストップを掛けるようにしてる。壊れそうで恐い…
でも、一回考え始めると止まらない。飯食ってても、酒飲んでても、友達と話してても、いつも俺に付きまとう。一番酷いのは布団の中だ。どんどん考えが浮かんできては最後には意味も成さずに消えていく。だけど、悪い方向性だけは息づいていて最後の最後は泥沼だ…
その泥沼にはまるとどうなるかって?俺は多分鬱病なんだろうな?刃物見ては手首に当てて、電車に乗ってるときは「線路を歩いたらどうなるんだろ?」とか浮かぶ。特別に意識してる訳じゃない。でも、無意識に自分を死に向かわせる。現実味のない死。自分が死ぬことというのがつかめない。普段の俺なら死に対して、痛みに対して敏感で、それらを意識させられるモノに恐怖を感じる。でも、鬱な俺には意味を成さない。ただの欲求として脳から要求される。カッターで手を切る行為を、電車の前に飛び出す行為を、車行き交う国道に一歩踏みれようとする行為をただの欲求に終わってしまう。
周りの奴等は俺を「自殺願望者だ!」と責め、「生きてたらいいことあるさ。」とか無責任な事を言うんだ。別に俺は死にたくない。自殺願望者ってのは「死にたがり」であって「死」そのものが目的なんだろ?でも、俺の目的はカッターで身体を傷つけたいという脳の欲求が目的である。そこに「死」はない。ただ結果的に死ぬだけだ。
自殺願望者とそうでないものの結果的に一緒でも過程は違う。
「それって空しいよね…」前の彼女は俺にそう告げた。確かに空しいな。それ以上でもそれ以下でもないんだから。死は死であり、生き物が死ぬということ。生を受け生まれるということは、生き物が存在するだけで意味があるのだから。それを自分で終わらせることほど空しいことはないわ。過程が違えど結果は同じ所に行き着くんだから。
死にたくないのに死んだものがいくらいる?しかも、自分の行為の結果でそうなったのものは?俺はただ運良くそいつらの仲間入りを免れただけだ。一歩間違えれば空しい奴等の仲間入り。カッターを首元で滑らせなかっただけ、降りた遮断機を超えなかっただけ、赤信号を守っただけ。日常には一歩間違えばすぐ死につながることが多すぎる。なのに死が自分達とは違うところの住人みたいに感じられる。それは、死が自分にとって無関係だからだろ。たまたま周りで人が死なないだけだろ?
生き物なんて首をちょっと強引に軽く捻れば、もうあっちの世界の住人なんだから。死を美化し、そして偶像崇拝のように尊いものとしたおかげで人は死を意識せず、死からの恐怖に脅えずにすんでるんだ。安全という名の柵のおかげで更に死は人から遠ざかっていった。便利というものが、社会というものが生き物を殺さずとも生きていけるシステムを作り上げた結果に、死を意識しない生き物を作り上げただけだろ。しかしどんなに安全だろうとも便利な世の中だろうとも、死は常に隣人として付きまとってる。
俺はたまたま生きてる。でも、鬱になろうが脳から無意識の死を要求されようが俺はまだ死ぬ気はないし、死が遠い平和な国の住人だ。死んでいる状態のものは見たことはあるが、目の前の死はまだ経験がない。別に無理に経験したくはないが。
でも、いつかは訪れる。だが俺はそれを無意味なものとしたくはない。ただそいつが死んで悲しむだけで終わらせない。俺がその死を無意味なものにした時点でその死は俺の中では空しいだけの無意味なモノになってしまう。
あぁ、もう嫌だ。脳を停止させて思考の蟻地獄から救い出してくれ…
NIGHTMAREに逢うのは嫌だ…今日もまた寝られずにストレスだけを蓄積させてまた睡眠を貪りそこなうんだな…
今日も俺に訪れた夢魔の時間。今日の終わりはいつになる…
この記事のURL | ショート*2 | ▲ top
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。