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Nightmare
- 2006/02/04(Sat) -
昨日寝られなかった。昨日のように今日も俺のもとに訪れるのか?NIGHTMARE?俺はもうどうかしてるんだな…今日も思考の悪魔が俺を襲うのだろう。嫌な考えが浮かぶ時に招待された…

…周りは考え過ぎとか何とか言うけど、別に俺もいつもいつも考え事をしてる訳じゃない。それにある程度のところでストップを掛けるようにしてる。壊れそうで恐い…
でも、一回考え始めると止まらない。飯食ってても、酒飲んでても、友達と話してても、いつも俺に付きまとう。一番酷いのは布団の中だ。どんどん考えが浮かんできては最後には意味も成さずに消えていく。だけど、悪い方向性だけは息づいていて最後の最後は泥沼だ…
その泥沼にはまるとどうなるかって?俺は多分鬱病なんだろうな?刃物見ては手首に当てて、電車に乗ってるときは「線路を歩いたらどうなるんだろ?」とか浮かぶ。特別に意識してる訳じゃない。でも、無意識に自分を死に向かわせる。現実味のない死。自分が死ぬことというのがつかめない。普段の俺なら死に対して、痛みに対して敏感で、それらを意識させられるモノに恐怖を感じる。でも、鬱な俺には意味を成さない。ただの欲求として脳から要求される。カッターで手を切る行為を、電車の前に飛び出す行為を、車行き交う国道に一歩踏みれようとする行為をただの欲求に終わってしまう。
周りの奴等は俺を「自殺願望者だ!」と責め、「生きてたらいいことあるさ。」とか無責任な事を言うんだ。別に俺は死にたくない。自殺願望者ってのは「死にたがり」であって「死」そのものが目的なんだろ?でも、俺の目的はカッターで身体を傷つけたいという脳の欲求が目的である。そこに「死」はない。ただ結果的に死ぬだけだ。
自殺願望者とそうでないものの結果的に一緒でも過程は違う。
「それって空しいよね…」前の彼女は俺にそう告げた。確かに空しいな。それ以上でもそれ以下でもないんだから。死は死であり、生き物が死ぬということ。生を受け生まれるということは、生き物が存在するだけで意味があるのだから。それを自分で終わらせることほど空しいことはないわ。過程が違えど結果は同じ所に行き着くんだから。
死にたくないのに死んだものがいくらいる?しかも、自分の行為の結果でそうなったのものは?俺はただ運良くそいつらの仲間入りを免れただけだ。一歩間違えれば空しい奴等の仲間入り。カッターを首元で滑らせなかっただけ、降りた遮断機を超えなかっただけ、赤信号を守っただけ。日常には一歩間違えばすぐ死につながることが多すぎる。なのに死が自分達とは違うところの住人みたいに感じられる。それは、死が自分にとって無関係だからだろ。たまたま周りで人が死なないだけだろ?
生き物なんて首をちょっと強引に軽く捻れば、もうあっちの世界の住人なんだから。死を美化し、そして偶像崇拝のように尊いものとしたおかげで人は死を意識せず、死からの恐怖に脅えずにすんでるんだ。安全という名の柵のおかげで更に死は人から遠ざかっていった。便利というものが、社会というものが生き物を殺さずとも生きていけるシステムを作り上げた結果に、死を意識しない生き物を作り上げただけだろ。しかしどんなに安全だろうとも便利な世の中だろうとも、死は常に隣人として付きまとってる。
俺はたまたま生きてる。でも、鬱になろうが脳から無意識の死を要求されようが俺はまだ死ぬ気はないし、死が遠い平和な国の住人だ。死んでいる状態のものは見たことはあるが、目の前の死はまだ経験がない。別に無理に経験したくはないが。
でも、いつかは訪れる。だが俺はそれを無意味なものとしたくはない。ただそいつが死んで悲しむだけで終わらせない。俺がその死を無意味なものにした時点でその死は俺の中では空しいだけの無意味なモノになってしまう。
あぁ、もう嫌だ。脳を停止させて思考の蟻地獄から救い出してくれ…
NIGHTMAREに逢うのは嫌だ…今日もまた寝られずにストレスだけを蓄積させてまた睡眠を貪りそこなうんだな…
今日も俺に訪れた夢魔の時間。今日の終わりはいつになる…
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My Song
- 2005/10/01(Sat) -
駅前を歩いてる。寂れた駅前。ホームレスが道端に転がって物ほしそうにこっちをにらむ。
俺はそいつら横目にわざと煙草に火を付け、ふっと息を吐いた。
道端には路駐車天国。ルノーにスマート、ヴィッツにマーチ、汚れきった大衆車の群々。欧州車の次に日本車が多く停められた道を歩きながらわき目にレストランで酒を飲んでる奴等が目に入る。

「路駐は文化だ!」昔誰かが言った。確かにこの国ではそれが当たり前だ。家は数十年、百何十年も補修に補修を重ねたアパートメントが多く、一軒家なんて一部の金持ちしかもてないこの街で車を停められるところは道端しかない。家があるだけでもめっけもんだ。
他の国の奴等は「この街には歴史がある」と馬鹿の一つ覚えで、特にJAPは決まってそれを言う。この街には歴史以外何もありゃしない。確かに歴史を軽んじるつもりはない。歴史があってこそ、今の俺の生活はあり、この街が存在し、この国は存在し得るのだから。だが、歴史はただの世界の日記でただそれだけでしかない。
俺らにあるものは決められた人生。そのレールに沿って決まった人生を歩んでいくつまらない奴等だけがこの街にははびこってる。
貴族は貴族。労働者階級は労働者として毎日のノルマをこなすだけ。そして、決まったレストランにいき、決まった席でマスターに毎日決まった文句から始まる会話をする、ただそれだけ。
この街にまともな人間はいやしない。それともいかれてるのは俺だけか?
俺は家もあるし、職もある。だがその生活はCDと一緒でファーストトラックから始まりラストトラックで終わる。それのリピートだ。おんなじメロディーを奏で騒音を撒き散らす。
環境が変わればCDも変わる、ハードロックもあれば、バラードもある。だけどそれもずっとリピートの繰り返し。

今の俺は、ラヴソングか。周りに甘い言葉をばら撒き、あいてを酔わせようとする。
つまらないラヴソング。ラヴソングは一人に送るから意味がある、大勢のためではただの娯楽でしかない。それに酔う人間が哀れに見える。
俺はそんな哀れな人間達を相手にして生活を成り立たせてる。皮肉な話だ。俺が奴等を哀れな人間に仕立て上げてるのに、俺はその哀れな人間の助けがなければ生きてはいけないのだから…
俺の中で奏でられる歌は、矛盾に満ちたこの時から俺を包み空しさを隠す。夜になると顔を出して悪魔が俺に囁き惑わす。俺はそいつを黙らせるために、煙草を吸い、家では本を読む。考えることに没頭し悪魔のささやきに耳を貸さないようにする。
そうして今の俺の出来上がりだ。
決してレンジでチンして「はいできあがり。」ではない。
こねくり回して何度も焼いて、蒸して、揚げて、オーヴンで「ボン!」はい、できあがり。
そして、まだ調味料やスパイスのオンパレード。俺はどんな料理になるんだ?
んで、最後にどんな味を、音楽を他の奴等に奏でるんだ?
俺は自分じゃそれは見えないのだろう。周りの奴等しか俺は味見できないし、俺の本当の音を聞くことは出来ないのだから。
さぁ、ラストトラックだ。後はシャワーに本だけだ。
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